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  • Updated on 26/09/2023

ただの事務のおばさんが、フランスでDevOpsエンジニアになるまで

Compaq

フランスに来る前の経緯

私は、元々算数などは大嫌いの、ただの日本の文系大卒でした。
ただ、大学に入学する前に大学資金の足しになればと、初めて座ってする(ファーストフードなどではない)アルバイトにつきました。
それは、大手電話会社のコールセンターの仕事でした。
PC経験があることが条件でしたが、時給がいいアルバイトだったので、受かりたくて経験があると嘘をつきました。
ただ、業務を開始すると意外にすんなりとPCの基本動作をすぐに理解できました。
大学に入ると、その当時流行していたCOMPAQというブランドの大きなPCをローンで買い、懐かしのダイアルアップで繋いでインターネットをしていました。

アルバイトをしながら、なんとか日本の大学を卒業しました。
大学在学中は、周りの人が就職活動をしていても、私は動じずに留学資金を貯めるためにアルバイトをしていました。
私の母親は毒親で、とにかく早く母親から離れた遠くの国に行きたいと思っていました。
また、年金制度や労働条件を考慮して、日本で働こうとも思っていませんでした。
とにかく、日本ではなくまずはイギリスに行って、もしよければイギリスに住むか、
自分に合っていなければ他の国にまた移ればいい、と思っていました。
日本人は、やたらアメリカに行くことに憧れますが、私はへそ曲がりだったので、
アメリカは全く考えていませんでした。

イギリスに住み始め、カレッジに行きながらビザを取得してくれるという企業でアルバイトをしながら働いていたのですが、一度就労ビザを取得するために、日本に帰国してほしいと企業から要請があり、日本に一時帰国しました。
その後、1年ほどは祈るような気持ちでビザを待っていましたが、結局就労ビザを取得することができなかったと言われてしまいました。
その時、イギリスにまた学生ビザで戻るという選択肢もあったのですが、一度もうイギリスにNOを突きつけられ、また戻るのが悔しかったのか、
なぜかその時暇つぶしにフランス語を勉強していたので、フランスに行こうと思い、すぐにその後働いて少しのお金を貯めて、パリに発ったのです。
特に、フランスに物凄く憧れを持っているわけではありませんでした。
もちろん、今ではフランスをあの時選んだことは、いい選択だったのではと思います。
ただ、フランスにたくさんいる他の日本人(特に女性)のように、フランスの何が好きで来たわけではなかったのです。
そのため、その後何万回と「なぜ君はフランスに来たのか」と聞かれることになるのですが、その度に私は、「イギリスの隣だったから」と答えています。
実際、フランスに飽きたら、次はイタリアかスペインに移ろうと思っていたのです。

フランスで結婚

france

ところが、2013年にフランス人と結婚し、なんとこの2023年の時点で、私はもう16年もフランスに住んでいます。
20代から40代前半(大事な時期)を、このフランスという国で過ごしてしまいました。
フランスは、フランス人の性格を除けば、悪い国ではありません。
子育ての環境もいいし、自然も歴史建造物も多いし、景色もとてもきれいです。
食べ物も美味しいし、社会保障や年金も日本よりはるかにいい条件です。
ただ、当初の予定では、各国を2年ずつぐらいのペースで移動するぐらいの予定だったため、今でも、こんなに長くフランスに留まってしまった、という気持ちは拭いきれません。
ただ、結婚してビザが貰えるようになったため、ようやくビザの問題は落ち着き、
フランスできちんと仕事が探せるようになったことは、本当に肩から荷が降りるような気持ちでした。
もちろん、夫のことは好きでしたが、元々私は結婚願望のあるタイプではなく、
私のビザの問題と、夫は子供が元々欲しかったので、それでお互いの需要と供給があったために結婚しました。

就職をしてから気がついたこと

その後、語学力も手伝って、運良く日本大使館で働くことになりました。
結婚後すぐに妊娠して、子供を2人産んでからようやく本格的に仕事をしたのが、大使館でした。
大使館は他の日系企業より収入も悪くはないし、公務員とほぼ同じなので、安定を求める方にはとてもいい職場だと思います。
ただ、5年働いて気づいたのは、私は実は公務員向きではなかったということ。
今まで、移住することやビザのことなどで頭がいっぱいの人生だったので、具体的に何の仕事に就きたいのか、
自分は何がしたいのか、考えたことがありませんでした。
そのため、大使館でセクハラに遭ったことは運が悪かったかもしれませんが、実は好都合なことだったのかもしれません。
セクハラ後、メンタルを病んで、その病欠中に「自分が本当にやりたいことは一体何なのか」を真剣に考えました。
「毎日大使館に通って、外交官たちに言われるまま、結果の見えない仕事だけをして家に帰って、給料をもらって、リタイアする人生でいいのか。」
そう考えるきっかけになったのです。

私は、実はアキバ系である

akiba

フランスでは、仕事を辞めても、(辞職時の条件にもよりますが)勤務時の給与の約70%を2年間もらえる失業手当があります。
また、その失業中の間、国の手当で無料で教育も受けられるのです。
私はそれを利用して、修了証が貰えるエンジニアスクールに通うことにしました。
メンタルを病んでから、結局考えて考えた挙句、私の大好きなものはPCである、という結論に達しました。
アップル製品を買った時のあの自分のテンション、一体何をしている時が幸せか、何が無くなったら絶望的になるのか。
そうして、私はアキバ系である自分に気がついたのです。
好きなら、とことんやれるところまでやろう。
エンジニアスクールに入って半年後、私はFullstuck Web Developerの職業認定証をもらいました。
また、Fullstuck Web Developerだけでは満足せず、結局今はDevOpsのDeveloperとしてMasterに通いながら、フランスの企業で働いています。
前述で、こんなに長くフランスに留まってしまった、という気持ちが拭いきれないと言いましたが、そのため、この仕事を利用して、いつかはどこかに家族で一時移住をしようと考えています。